2008.10.18. 大学の用事で・・福山まで! 秋晴れの汗ばむほどの日で・・・少しはやめに到着して,福山城を散策しました。 まずは・・・駅の北口・・の正面です。 さて,正面っていうか,そういう石段を昇って行きます。 「福山城は、徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成が1619年(元和5年)に備後10万石の領主として、入府し築いた城です。 伏見櫓は、1622年(元和8年)築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」であった遺構を徳川秀忠が移建させたものです。白壁三層の豪華な姿に桃山時代の気風が伺えます。 歴代の藩主は、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心になっていました。 1873年(明治6年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊されました。1945年(昭和20年)8月の空襲により、天守閣と御湯殿は焼失しましたが、1966年(昭和41年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原されました。 現存する伏見櫓、筋鉄御門(すじがねごもん)は、国の重要文化財に指定されています。福山城は、江戸時代建築の最後の最も完成された名城としてたたえられていました。」とのことです。 福山城は元和8年(1622年)に完成した。新規の築城としては近世城郭で最も新しい城で、備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。形式は輪郭式の平山城で、かつては2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持ち五重の天守と7基の三重櫓を有する大規模な城郭であった。-------だそうです。 筋鉄御門を抜けて行きましょう! 素晴らしい天守閣ですよね・・。 まずは,前庭をぐるりと・・・最初は湯殿! 東南の方角は,月見櫓です。 そして,その北側には・・・鏡櫓です。 前庭の真ん中に瀟洒な池が作庭されていて・・・小ぶりの趣を醸し出しています。 天守閣も真正面!! そして,鐘櫓の方へ・・・先の筋鉄御門の上に当ります。 青い空と石壁と白い建物のコントラストは絶妙です。 ぐるりと,歩き回りますと,遠く見えるのは・・・市立短大?? そして,いよいよ天守閣の方へ,向かいましょう! 博物館になっています・・,時間その他の関係で,入りませんでしたけれど〜〜 その分,ぐるっと一周です。 北側には運動公園や・・・福寿会館などが見えています。 某城大好きな某大学教授ほどには熱中はしませんが・・・。なんか,お城跡っていいですよね。 井戸もあり・・・「現存する建造物としては伏見櫓と筋鉄御門(共に国の重要文化財)があり、このうち伏見櫓は福山城の築城時に伏見城から移築されたもので現存の櫓では最古の建築である。」ということです。 なかなか・・・。 やや西側緑の多いあたり・・・向こうには,「ふくやま美術館」や「歴史博物館」があります。 でも,お城の何層にもなったところを歩くと・・・兵どもが夢の跡・・・ですよね。 さっき,上からみたのは・・・。第七代藩主「阿部正弘」です。 さて,再び,お城の北側・・太陽を背にしていますが・・・に,向かいました。 福寿会館は,入れずに・・・隙間から覗くだけですが・・。 三蔵稲荷神社がありました・・・ 祭神は宇賀魂大神・猿田彦大神・大宮女大神。 「神社の規模としてはあまり大きくなく、市内にはここよりも大きな神社が数多くあるが、境内には本殿、社務所のほか能舞台がある。福山市民の間での認知度が高く、また毎年ミス三蔵稲荷を選ぶコンテストが行われることでも有名である。」だぞうです・・・ 確かに能舞台もありましたね・・。 そして,実は裏から入ったようで・・多分・・一の鳥居の方へ向かいました。 ちなみに・・西門もありました。 さて,その向かいというか,西側は・・・護国神社で・・・旧阿部神社とのことです。 こんな・・・ところで・・・宮本武蔵の足跡・・っていうか,尻跡が・・。 元々は阿部神社ということで,阿部正弘の像・・・っていうか,説明文を読むと誠之館高校(S教授やH教授のご出身)の創設者なんですね。
そして,前の広場っていうか,その先は,ふくやま文学館なのですが・・・ そこれは,フリマーケットでした。 天守閣も臨めます。 ----で,天守閣 そして,「ふくやま美術館」や「歴史博物館」とお城の間は,彫刻が点在し,また,緑の多いところになっています。 さて,福山駅正面口・・南口って言うのだろうか?? バラの街でもあり・・・GWには,バラのフェスティバル? 行われていますよね・・。 で,駅前ですが・・・・像が・・・ さてさて・・・この辺りで,用事の時間です。 〜〜〜〜〜〜〜〜 で終了したら夜でした。 |